牧之瀬雅明・禅語と季節のブログ

季節の花々と人生を重ねて

弱肉強食の逆 禅語「小魚呑大魚」を考える

本日の禅語「小魚呑大魚」(しょうぎょ たいぎょをのむ)



サッカーで言うところの「ジャイアントキリング」の意味でしょうか?


普通の世界では、逆ですね。「大魚呑小魚」となるのが普通でしょう。


辞書にも「小魚は大魚の餌となる」ことから、弱者は強者の犠牲になることが世の中の常道であるという事、つまり弱肉強食の意味とあります。


では禅語の「小魚呑大魚」とは、どんな意味なのでしょう。
弱肉強食のこの世の中で、小魚が大魚を呑むなど、そんな逆の出来事などあろうはずがない。
あれば奇跡でしょう。
では、ありえないことが起こるためには、どうすれば良いのか?


ある方は世界の動物の「弱肉強食」をピラミッド型に見た時、人間は決してピラミッドの頂点にはいない、むしろ下位層のグループだ」と言いました。
決して腕力が強いわけでもなく、大きな牙もありません。動物を捕食するためには道具を持たなくてはなりません。つまり、この道具、工夫と知恵こそ、人間が他の動物を捕食するチカラとなるわけです。


例えば10メートルを超すクジラと人間を比べると大魚はクジラ、小魚は人間でしょう。しかし、人は、様々な道具を使って大魚を仕留めます。
「小魚呑大魚」とは、できそうもないことを最初から諦めるのではなく、知恵と工夫と努力と根性と・・・チャレンジ精神で挑むことではないでしょうか?


禅語の解釈とは、その言葉の真の意味を文献で探すことより、自らの直感と読解力で読み解けば良いのだと思います。


最初から諦めることなく、知恵と根性で立ち向かう。そんな勇気をもらえるような禅語だと解釈しました。