牧之瀬雅明・禅語と季節のブログ

季節の花々と人生を重ねて

秋の月「月白風清」とコロナ報道

月白風清(つきしろくかぜきよし)



 9月も下旬となり、柿の実が色付き始め、そのはるか上空を秋の雲がゆっくりと流れます。夜になると眩い月が街を神々しく照らし、天地自然の恵みを感じずにはいられません。凌ぎやすい秋を迎え、心地よい日々が続きます。


 旧暦八月十五日(今年は九月二十一日)の月を「中秋の名月」と呼びます。古来より日本人は、その十五夜の前後の月を十三夜、小望月、十六夜、立待月などと一夜一夜に名を付けて愛(め)でてまいりました。それほどまでに秋の月は身近な存在であったのでしょう。


中国宋代第一の詩人であり、書家でもある蘇軾(そしょく)の著作「後赤壁賦(こうせきへきのふ)」の一句に「月白風清」という秋の月にちなんだ言葉がございます。晴れ渡った空に浮かぶ白い雲。澄んだ空に凛とした月の姿。汚れなき美しい心を喩えた言葉で、何事にもとらわれない自由で清々しい境地を表現しました。月と風が表すのは、ありのままの心です。


実際の詩文は、「客有れども、酒無し、酒有れども肴無し。【月白く風淸し】、此の良夜を如何(いかん)せん」の一節です。


くだけて訳すと、「おいおい、せっかく友達と三国志で有名は赤壁に来たのにさ、酒がないとはどういうことォ。まぁ、酒はさ、かみさんに頼んで何とかするとしてもさ、かんじんの酒の肴がないじゃん。もう、『月は白く冴え 風は爽やかに吹く、素晴らしき夜』も、これじゃあ台無しじゃん!」との文です。
その後、蘇軾の奥様が気を利かして酒を持ってきたし、たまたま船に仕掛けていた網に、鱸がかかったので、無事に宴会は開かれたみたいです。


秋の夜長を心穏やかに過ごしたいところですが、今、新型コロナウィルスという災禍が世界を震撼させる中で、テレビを見れば感染者数や重傷者数の増減という数字にばかり注意を奪われてしまいます。いつしか目線が下ばかりを向いていませんか。
だれも雲や月を見上げる余裕もありません。


このような時こそ、秋の空を見上げて、明るい未来に思いを向け、自然の営みと天地父母の恵みという二つの恩沢に感謝することを忘れてはなりません。


 私達はコロナなど病苦という逆境に出会うと心が挫けるのが常です。
そして、その心を挫くのが雑念です。
「悩む必要のないことに悩む」という雑念が心を苦しめ、結果的に自分が負けてしまうのです。
「月白風清」は雑念を追い払い、不安や迷いのない、苦難に打ち克つ強い心の有り様を教えてくれます。


澄みきった気持ちで空を見上げる日を心待ちにしています。