牧之瀬雅明・禅語と季節のブログ

季節の花々と人生を重ねて

「自分さがし」と 禅語「月知明月秋花知一様春」

月知明月秋花知一様春



(月は明月の秋を知り、花は一様の春を知る)
「月花無心自不違其時言知作意也」(月花無心なるも自ら其の時を違えず知ると言う作意なり)と注釈のある禅語。


『ときに 麗らけき春
温もりと 生気みなぎる
春とは 如何 ?


咲く花に 問うてみても
花は 芳しく 香り 
ただ静かに佇(たたず)むのみ


春を 誘(いざな)い
春を 装い
春を 天地いっぱい 供する
花ぞ知る一様の春』


禅林句集より『花知一様春』


『自分探し』という言葉が聞こえて久しい時代です。


自分とは、自分が産まれた理由とは。自分の未来は。
多くの意味がこの自分探しに含まれていますが、
わたしの読んだ究極の自分探しは「他人から見た自分を探す」でした。


評価などは他人がするもので、自分には出来ない、という意味。


自然界ではどうなんでしょう?花や月は、自分を探しますか?


この禅語には、花も月も、自らが最も輝く時季を知っている、という意味が込められています。そこには「無心でありながら」、という解説も加えて。


無心になれない、邪推だらけの人生であり、間違いばかりの自分だからこそ、人はおのずと正しい道を求め、自分という、本来ありえない、姿を求めて探し彷徨うのでしょう。


人は決して無心に、なれないのです。
邪推、間違い、それも人としての本望。すべてを含んで人なのです。


悟ったところで、そこが高慢の始まり。人は修行し続けるしかないのです。


花や月のように、人知れぬ山奥で咲いたり、厚い雲に覆われ、だれの目にも触れない天高くで輝いても、ただ、ひたすら、全力で咲き、輝くのが無心なのです。


だからといって、人間は駄目な理由ではありません。自分を知るからこそ、
やれることがあるのです。今日一日を輝かせるために。自分が精一杯をやる、これが人の輝く時季であり、探し求める自分ではないでしょうか?