牧之瀬雅明・禅語と季節のブログ

季節の花々と人生を重ねて

梅に教わること

梅は日本に自生していたという説と中国から伝来したという2つの説があります。現在は、中国伝来が有力視されていますが、梅はシベリア地方で産まれ、蒙古を通じて中国に渡り、それが日本に持ち込まれたという話も出てまいりました。
渡来の歴史は古く、万葉集に梅を詠んだ歌は100首を超えています。


春の野に 鳴くや鶯なづけむと
我が家の園に 梅が花咲く


日本全土で育ち、日本人に愛され、今や品種は300を超えるほどです。もはや日本の花とも呼べるでしょう。
事実、平安時代初期まで、花といえば梅を指していました。平安中期以降は、桜に変わります。
梅は花が美しいだけでなく、香りも芳しく、実も食用、薬用と大切なものです。日本語のウメという発音は、生薬「烏梅」ウバイから来ているとされます。中国音のウメイに由来すると「大言海」に書かれています。
他にも諸説あります。
日本人は実で「梅干し」という独特の漬物を作りました。
殖産振興のために、梅の木を積極的に栽培したのは徳川水戸光圀公で、水戸の偕楽園が梅で有名になったのも光圀公のおかげです。光圀は自らを梅里先生と名乗ったほどです。
日本でウメはムメとも呼ばれる時代がありました。江戸時代から明治まではムメと呼ばれ、長崎に住んだシーボルトがプルヌウス・ムメとラテン語名を付けたほど、ムメと一般的呼ばれたようです。
与謝蕪村は
梅咲きぬ どれがむめやら うめじゃや
と詠み、ムメとウメの混乱を風刺しています。


松竹梅を中国では「三寒三友」と呼びます。厳冬の困苦にも屈しない堅固な姿を尊びました。正月に松を飾るのも、風雪や寒冷に耐え、ひたむきに生きようと努める生命力の強さにあやかりたいとの願いを示しています。


梅一輪  一輪ほどの  暖かさ(服部嵐雪)
規模しい寒さの中で、一輪の花が咲きます。やがて来る春を告げるように。


梅や桜といった花々を着物に染めて着るのは日本女性だけだと言われています。また、日本人だけ「いけばな」という趣向を楽しみに出来る民族はいないとされています。
それはなぜか?
学者の研究によると、日本の四季にわたる自然、その美しさを愛で、自然観に根本的な理由を探る気質が日本人にはあり、厳冬に咲く一輪の梅でさえ、自然の妙を感じ取る感受性を持つのです。


さらに、いけばなと並び、日本には「茶の湯」という独自の文化があります。茶室に花をいけ、いかなる場所でも自然とのつながりを失うまいとしています。


花札にウメとウグイスが描かれていますが、梅にはウグイスを呼ぶ何らかのチカラがあるようです。