牧之瀬雅明・禅語と季節のブログ

季節の花々と人生を重ねて

「妄想が人を食い殺す」江戸時代の禅師の言葉です


江戸時代の高僧、白隠禅師のもとに、ある時、若い侍が訪れ「地獄と極楽はどこにある」と尋ねます。禅師は「武士のくせに、そんなこともわからぬか」と強く罵倒します。



屈辱に耐えかねた侍は鯉口を切り、やにわに切りかかろうとした瞬間、禅師は「それが地獄じゃ」と言います。正気に戻った侍が刀を納め平伏すると禅師は笑顔で「それが極楽よ」と語りかけます。



地獄も極楽も心の中にあり、心が造りだすものにほかなりません。



仏教の教えに「一切(いっさい)唯心造(ゆいしんぞう)」という言葉があります。


私たちの周囲のあらゆる存在や現象は心の動きであり、すべては心が造りだしたものという意味です。西洋哲学でも「唯心論」として心を脳に置き換えて同じことを言います。


 白隠禅師の逸話には事欠きませんが、禅師自身の病苦体験から、こんな戒めも残しています。「病気が人間を殺すのではなく、妄想が人を食い殺す」。



病気になっても病人にはなるなということです。病に罹ってしまうと、正しい判断力を失うこともあります。



まさに一切唯心造です。前向きの心の持ちようで、自然治癒の働きも加勢します。


コロナ禍で先が見えない現代ですが、今悩んだり、苦悩していることは、外因だけではなく、貴方自身の「妄想」ではありませんか?


自らの心を点検し、妄想に悩まれることのないようお心がけ下さい。

コロナ時代を生きる。「和顔愛語」で生きる。



仏教に「和顔(わげん)愛語(あいご)」という教えが
あります。穏やかな笑顔と、慈悲の
心から生まれた思いやりの深い一言
が、人を幸せにすることが出来ると
いうことです。


 曹洞宗の開祖、道元禅師は「面(むか)い
て愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ、心を
楽しくす。面(むか)わずして愛語を聞くは、
肝に銘じ、魂に銘ず。愛語よく廻天
の力あることを学すべきなり」と、
説いています。


勇気を与える言葉は直接伝え、褒め
言葉は第三者を通じ伝えた方が心に
響きます。また、戒めの言葉は誰も
いない所で諭すべきでしょう。
本当の慈愛に満ちた愛語は、人生、
そして世界さえ変える力があるのです。
 
こんな逸話がございます。ある僧
侶がまだ小僧さんの頃、和尚さんの
留守中に掃除に疲れ、縁側で寝込ん
だのです。暫くして和尚さんが戻ら
れました。「しまった」と思ったが
手遅れ。小僧さんは観念して狸寝入
りしました。和尚さんは枕元でそっ
と片手で合掌、「ごめんなされや」
と、音もたてず去られました。熟睡
する小僧さんの人格を尊重したとい
うことでしょう。感じ入った小僧さ
んは発奮して修行を積み、のちに名
僧になりました。


愛語は言葉ならざる言葉の形を取ることもあるのです。


新型コロナ感染が拡大するなかで、お苦しみの最中(さなか)の貴方様には、笑
顔を浮かべることさえお辛いでしょうが、口角(こうかく)を上げ、優しい笑顔にな
ることで、病を癒す免疫力は向上するといわれています。


心身(しんしん)一如(いちにょ)、心
と身体は繋(つな)がっています。どうか慈
悲の心を忘れず、日々お励み下さい。


一日も早い平癒を祈念いたしております。

立夏を迎え、「青山緑水」を願う日々


立夏、いよいよ夏季到来です。 
暦の上で夏の始まりを迎えました。この日から立秋(2021年は8月7日)の前日までが夏季になります。
ついこの間、4月に入り、新たな年度を感じたと思ったら、もう夏が来たのですね。4月は「雨降って百穀を潤す」ことから、二十四節気の暦で「穀雨」とも呼ばれる季節です。
春の雨ですが、今年は少なかったように感じます。春の雨は作物を育てるのに欠かせない天の恵みです。このことから春雨について多くの詞が残されているほど。例えば、穀物を育む瑞雨、大地を潤す甘雨、花の開花を急き立てる催花雨、菜の花が咲く頃は菜種梅雨など様々な枕詞を持ちます。どの名も豊作をもたらす恵みの雨に感謝する願いが込められました。


さて、5月を迎え、草木が花を競い合った爛漫の春が過ぎ、新緑の映える初夏の薫風瑞雲が漂います。生命が躍動するこの時季は溢れんばかりの自然の生命力を身体の奥深くに取り込みたくなり、自然の多い場所に飛び込んでしまいたくなります。


 中国唐代の名僧、龍牙居遁禅師はこの季節に相応しい「青山緑水」という禅語を残しました。青々とした山々、緑が映る水の流れという森羅万象を育む雄大な情景が表現され、あるがままを慈しみながら生命の煌めきを讃えています。この禅語には「是我家」の語句が続き「青山緑水の大自然こそ私の住まいだ」と高らかに宣言して、自然の恩恵を得て今日も生かされていることに感謝した一節と解されています。


仏教では人と自然とが切り離せない関係にあることを「身土不二」と申します。「身体と土は二つにあらず」との意味で、人と人が暮らす土地は一体であるとの教えです。中国で古くから伝わる「医食同源」という考え方も同じで、自然界と人間、そして生活する土地との深い関係を洞察しています。


なにかとコロナ禍で、緊急事態だと喧伝され、人の営みが果たせませんが、あと、少しだけ我慢をすれば、元の生活に近づくことが叶うのでしょうか?


青々とした山をいただき、緑を映す川の流れを想像しながら、しばし大都会のビル群で息を潜めて暮らすしかなさそうです。


皆さまに不安のない日が訪れますように・・・